こんにちは。わたしは昼は一部上場企業で働き、夜は水商売をしています。30歳から教養を身に着けようと日本史を学びなおしました。シリーズで魅力的な人物を取り上げたいと思います。今回は、日本史に最初に登場する女性、謎多き卑弥呼から学べるセルフプロデュースについてご紹介いたします。
日本の歴史で最初に登場する有名人
卑弥呼が活躍したのは稲作が始まった弥生時代後期から、権力者たちがこぞって自分の墓を建てさせた古墳時代前期。この頃のことが記録された資料は日本に残っていないことから、歴史の専門家たちがいまだに議論するほど、謎の多い時代。そんな中、今の中国の歴史の資料(魏志倭人伝)にようやく日本人が登場します。ありがとう、中国!それが日本史の最初に出てくる人物、卑弥呼ですね。
卑弥呼という名前の由来
この当時の日本には文字が存在しなかったため、中国の人が耳で聞いた名前を記したので、例えば「姫巫女(ひめみこ)」や「巫女(みこ)」と聞いたのを「卑弥呼」と記したのかもしれないと言われています。
なぜ女性が権力者になれたのか
資料に登場する卑弥呼はすでにお年寄りと記されていることから、なぜ卑弥呼が日本の王になれたのかについては記されていません。ただ当時の日本は100ほどの国に分かれて資源を求めて争いが絶えなかった波乱の時代だったと記されており、そのうちの30を卑弥呼が統治していたと書かれています。それが邪馬台国ですね。驚くべきことはその国のおさめ方です。政治力に優れたわけでも、権力者の妻だったわけでも、武術が得意だったわけでもなく、ただただ、霊感が強かったんです。呪術によって、神のお告げを聞く事で国を治めていたようなんですね。
気象学調査によると、当時の日本は異常気象が続き、ずーっと雨が降り続き洪水が起きたり、ずーっと雨が降らずに作物が育たなかったりと、人々が気象に悩まされ飢えに苦しみ、土地や作物のために争い、争いに勝つために武器の材料の銅を得るために戦っていました。そんな中、卑弥呼は呪文を唱えて安定的な天候をもたらしたことから、人々を救い崇められるようになりました。
卑弥呼のセルフプロデュース力
POINT1.ミステリアスな存在であり続けた
2.スポンサーからのサポートを得ていた
3.道具を巧みに利用し演出した
1. ミステリアスな存在であり続けた
卑弥呼は王になった後も屋敷に引きこもり、あまり姿を見せることはなかったようです。身の回りの世話は弟のみが行い、神のお告げを伝えるのも弟経由だったようです。決してメディアに出ないアーティストのように普段から接することができないとなると、庶民はおろか権力者ですら卑弥呼のミステリアスな魅力にひかれ、自然と信じたくなったんではないかなと思います。人はイメージでしか人のことを見れないことを、もしかしたら知っていたのかもしれません。
2.スポンサーからのサポートを得ていた
卑弥呼は日本を統一するために後ろ盾を得ることを考えました。そこで部下を今の中国(魏)に送り、お手紙を渡すと、代わりに超貴重な黄金のハンコ(金印紫綬)と超貴重な鏡(銅鏡)100枚をもらってきました。日本の何十倍もの力をもつ中国に「王」と認められたことは、波乱の世の日本ではとても大切なことだったんです。
3. 道具を巧みに利用し演出した
卑弥呼は中国(魏)からもらった大量の鏡を利用し、太陽を反射させ壁に当てるなどして神々しく見せるように演出したのではといわれています。当時は中国からの贈り物はすべて物珍しく貴重なもの。周りの家来たちも見たこともないもののパワーに惹かれ一層魅了されていったのかもしれません。
いかがでしたでしょうか?歴史は何度もなんども繰り返されると言われています。過去を知ればこれからの生き方が見えてくるのではないかと思いこれからもシリーズでご紹介していきたいと思います。
このブログの著者
asuka(30代)
昼は上場企業で働き 夜は水商売をしています。
お昼の仕事、夜の仕事、テラスハウスやバチェラー、
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